児童・生徒(以下、生徒とのみ記す)が学習効果を上げるに備えておかなければならない教師の資質能力について、以下に五箇条を挙げ、それぞれに説明する。 1.世界が主観により成り立っていることを理解して、教科指導できる能力  世界は主観によって成り立っている。例えば私にとっての世界は、私が把握できるだけのものであり、その他は存在しないのと同義だ。我々が触れうる万事が、誰かの主観によって成り立っていると言えよう。誰も知らないものは、存在すると言えないのである。客観は真には存在し得ず、客観と呼ばれるものは誰かが客観と認識した主観によるものだ。このことを理解して、教科指導できる能力が要される。  具体的に言えばわかりやすいだろう。現在、私が生徒に教えられるのは中学社会であるから、それを例とする。多かれ少なかれ教科書に沿って、教師は生徒に歴史を教える。しかしその歴史は、誰か想いによるバイアスも含まないものではない。新たな発見により歴史が変わってしまうことはその特性を表している。自身が教えている歴史が絶対のものではないことを理解し、また生徒にも教えている歴史が絶対ではなく、教師あるいは何者かの主観によるバイアスがかかっていることを教える能力が要される。  主観を含むことを教えず、それが単に客観的な事実であると教えることは、虚実を教えていることになる。真実を教える能力は、学習効果を上げる以前に、信頼されるべき人として基本的な資質。学習効果を上げるに当然備えていなくてはならない資質だろう。 2.常識を捨て、自らの否定をも厭わず、道徳教育できる能力  道徳教育の目的は正しさを教え育てることだろう。  いわゆる「常識」と呼ばれるものは「正しさ」と何らかの関係があるのだろうか。ありはしない。常識は多くの人がそう考えていることでしかなく、正しさとは何の関係もない。地球の周りを太陽が回ることが常識であったこともあるが、それは正しかったのか。  つまり道徳教育に向かうにあたり、教師は積み重ねてきた常識を捨てねばならない。間違っても生徒に「常識でしょう?」などと言ってはならない。それは時に、自らの人生を否定することにもなろう。しかしそれをも厭わず、正しさを追求し教育できる能力が必要だ。正しさを追求しなければ道徳を教えることはできず、学習効果ゼロへの道を切り開くのみだ。故に正しさの追求は備えるべき資質である。 3.幸せや楽しさを覚え、それを体現して、生徒指導できる能力  何のために、教師として働くのだろうか。金銭を得るためであることは否定できないだろう(否定するなら、得た金銭を今すぐ投げ捨てていただきたい)。他にも、生徒の笑顔を見ていたいから。誰かを教え育てたいから。いろいろな理由があるだろう。逆に言えば、それだけの理由があるから、教師は教師として生徒に教えられる。  生徒も同様だろう。生徒として様々なことを学ぶには、理由が必要だ。その理由が強ければ強い程、学習意欲は高まり、学習効果も伸びる。つまり、学習効果を上げるためには、教師は学ぶ理由を生徒に教える必要があり、理由を教えられる能力こそ、学習効果を上げるに必要な資質である。  学ぶ理由は、生徒が強い理由として受け取ってくれるのなら、どんな理由でも構わない。しかしその理由は、レポートで求められる「学習効果を上げるため」からは外れるが、幸せで、楽しいものであって欲しい。国語を学び小説を書けば、読んだ人を幸せにできるかも知れない。音楽を学び公園で演奏すれば、聴いた人を笑顔にできるかも知れない。学問は人を殺すことも教えられ、それを理由にすることもできるが、私は望まない。 4.生徒のことを第一に考え、しかし生徒を退ける勇気を持ち、仕事をする能力  お客様は神様。よい言葉である。教師は生徒(あるいはその向こうの保護者や社会)に対しサービスを提供することで、対価を得る職業、つまりプロである。よって生徒を第一に考えサービスに励むことはプロとして当然である。  しかし、生徒を第一に考えることは、常に生徒が満足するようサービスすることではない。その時点で生徒が喜ぶ選択肢が、明日の時点で生徒に満足を与えられるか、考える必要がある。サービス業のプロが対価を得られるのは、そのサービスの結果を最適化できるからだ。やりたいことを好き勝手にやって万事うまくいくのであれば、教師というプロは不要。過程において生徒の想いを退けてでも、最高の結論を得られるようサービスする必要がある。学習効果は否が応でも何らかの結果で計らざるを得ないものだ。「効果」とはそういう意味である。故に学習効果を上げる資質として、先を読み、ある時には生徒の望まぬサービスを提供するのことができる能力が求められる。 5.常に戦い抜ける心身能力  生徒の学習効果を上げるには、言うまでもなく生徒が存在しなければならない。生徒が存在するためには、生徒と教師という関係が必要で、教師が存在しなければならないだろう。つまり、学習効果を上げるためには、教師が消えてはならない。  昨今、様々な人間関係から自殺する教師も少なからずいると聞く。しかしそれでは学習効果を上げようもない。どんなことがあろうと教師であることをやめない、屈強な心と体が、件の資質として必要である。 参考文献 吉田辰雄, 大森正『教職入門 ―教師への道―』, 図書文化社, 1999年 岸信行『心の教室 輝く時のなかで』, めいけい出版, 1999年