総合演習レポート 「私が出会った思い出の教師たち」 深澤 亮(法学部法律学科 7410041082)  幸か不幸か、「思い出の教師たち」を語るための記憶が私にはない。  あるかどうか、いるかいないかが絶対でないものを、あるもの、いるものと決めてレポートを課すことが、よもや教職に関わる授業にあるとは驚きである。常識や思いこみを前提にすることが如何に危険なことかわからぬものが、人様に何を語るのか興味深くもあるが。そう考えると今この瞬間が、「思い出の教師たち」という未来の記憶が生まれた瞬間なのかも知れない。しかし未来の記憶は、現時点での思い出ではない。  これで終わっては課せられたレポートを書き上げたとは言えない。私が出会った教師たちにそうするよう教えられた記憶もないが、私は課題を投げる、原稿を落とすような人間ではないつもりだ。そこで、ある事象から、興味深い教師を描き出し、思い出に代えよう。  中学三年の冬休み。私がゆるりと夕食を食べていたときだったように記憶する。担任だった教師から一本の電話がかかってきた。内容は簡単で要旨を述べれば、いわゆる当確だった推薦入試の受験資格がなくなったとのことだった。  当確、要は直前まで「推薦入試を受験できる」と言っていた担任教師が、突然それを撤回してきたのだ。当時の私は青かったため、その理由の推察が今ひとつできかねた。そこで理由を聞いたところ、さすがに多少は言わざるを得ないと判断したのか、答えが返ってきた。「ある教科の成績が、推薦入試に必要な基準値を下回った」とのことだ。  当然私は考えた。はて、どの教科の成績が、基準値を下回ったのだろう。そもそも、「基準値を上回ることを確認した」とそれまでは明言していた担任教師が、いったいなぜ、前言撤回に至ったのだろう。もちろんこの疑問は、担任にも口頭で伝えた。  しかし残念ながら、その答えが私に説明されることはなかった。無言とともに、私は受験資格を失う不利益を被ることになった。  くだらない推測は避けよう。当時の私が抱いた疑問の解答は、当時の私にはもちろん、今の私にもわかり得ぬことである。また、ここではそんなこと取るに足らない話だ。  大切なことは当時、「その答えが私に説明されることはなかった」ことだ。  私は今、某鉄鋼会社のグループ企業で、システムエンジニアとして働いている。そこで仮に業務において、顧客からの疑問に答えなかったら、顧客が何を考えているのかを推察せず奥に秘めた要望になど気づきもしなかったら。私はどうなるのだろう。  首は、解雇されることは覚悟する。  顧客の要望に全く応えられない私がいたとすれば、現職にとどまるのは不可能であろう。おそらくこれは、どこの民間企業のどの立場でも同じだ。そう、どこの民間企業でも。  さて、「その答えが私に説明されることはなかった」の対面側、その答えを私に説明しなかった担任教師はその後どうなったのであろう。今となっては驚いたことにとしか言いようがないが、数年後、私が教育実習で中学校に戻ったときにはまだ、別の学校で教師を続けていたのである。  教師の業務とは何か。その定義は存ぜず、またその定義に興味もない。しかし対人業務である以上、対する人への説明責任が伴うのではなかろうか。ましてや、教師にとって顧客とも言えよう生徒が、不利益を被るよう変えてしまうだけの力を持つ前言撤回をやってのけて、その理由を説明する責任がないなどまさか、あり得ないだろう。  いや、あり得た。つまり説明責任はどうやら伴っていなかったようだが。  なるほど学校の教師とは、行動に対する説明責任を伴わぬものらしい。顧客に不利益を被らせることも、不利益を被らせたときの説明責任すら負わぬものらしい。  少なくとも当時の担任から私が描き出した思い出の代わりは、そう結論づけている。