総合演習 1日目検討課題 「好かれる先生、きらわれる先生」 深澤 亮(法学部法律学科 7410041082) 1. 総括  人には、特に子どもにはそれぞれ、ヒロイン像、ヒーロー像というものがあるだろう。憧れの対象となるそれと重なったのならば、その先生は好かれる先生と言えるのではなかろうか。逆にそれと離れれば、漸次きらわれる方に寄っていく。そして「こうはなりたくない」と思われる、憧れと対極に位置する先生は、きらわれる先生になると言えるのではないだろうか。  そこで問題となるのは、憧れの汎用性だ。例えば私が「元気で明るくて普段はバカっぽくて、容姿は平凡。でも、頭は切れる、いざというときには決めちゃうお姉さん」に憧れ、そうなりたいと思っていたとして。これを読んでいるあなたもその「お姉さん」に憧れるだろうか。  各人の憧れがぴったりと重なることはない。それは皆が人である限り避けられぬ現実だろう。そこで最小公約数とも言える、「誰にでも憧れとなる記号」があるものと仮定したい。つまり、その記号を有するかどうかが、好かれるかどうか。「誰にでも『こうはなりたくない』と思わせる記号」を有するかどうかが、きらわれるかどうかなのではなかろうか。その記号の具体例を、以降にいくつか記載する。 2. 誰にでも憧れとなる記号 (1)清潔であることを前提に、その人らしい、独特の外観(ファッション)  「きれいなおねえさんは、好きですか。」とはおなじみのコピーであるが、うまいことを言ったものである。性別、世代を問わずきらいという答えは返ってこない、やはり外観は重要である。その外観を「きれい」とするのに必要なのは、学生各位の意見を聞く限り「清潔さ」と「その人らしさ」である。その人が着ている理由を説明できる衣服などは適当だと言えよう。 (2)子どもを信頼し、それを言動に表すこと  誰しも疑われていい気持ちはしない。極端な話、痴漢の冤罪で疑われている最中に、被害者面の人間を好きになれるか。いくら「きれいなおねえさん」でもそれは無理だろう。信頼しているから、そう言動で伝え、子どもに自由を約束する。その行為は大変効果的なものと考える。 (3)「私のため」に存在すること  永久の愛を誓いますか。その誓いの魔力は、永久に「私のため、私の一番でいてくれる」というところにあろう。対人関係は常にその要素を含み、子どもとの関係においても同じではなかろうか。話しかけてきた子には、向き直り目を見て応対する。例えばこんな些細なことでも、「私のため」という記号に見えるはずだ。しかしこの行為は危険も孕む。ややもすれば「えこひいき」となりかねない。誰にでも愛を誓っていては問題だ、バランスを常に意識したい。 3. 誰にでも「こうはなりたくない」と思わせる記号  常に憧れとなる記号の対極が該当することになるが、あえていくつか挙げたい。 (1)えこひいき  先述の通り、難しいところである。自らの心に問うしかない部分もあろうが、要は「常に特定の人のため」になったら危険だろう。「私のため」はパートタイムを心がけてはどうだろうか。教師がプロの接客業であるとすれば、風俗嬢に学ぶところがあるのかも知れない。 (2)自分を標準と思いこみ、自分以外の標準がないと思いこむこと  自分の価値観、いわゆる「物差し」が、世界標準の価値観であり物差しであると思いこむことである。つまり、自分にとって異端と認識される子どもを排除する思想。結局はえこひいきと似た状況に陥り、「こうはなりたくない」と思われがちではなかろうか。