私はなぜ、今このレポートを書いているのだろうか。  「きつい、帰れない、給料が安い」と揶揄される情報サービス産業の中で、私は働いている。目、肩は常に痛く、眠気は日々の友だ。この状況においては労働時間以外を休息に充てるのが妥当であろうが、今年の私は毎月一本のペースで大学のレポート課題をこなしたいと考えている。一本あたり何日かの深夜を投じればできないことはないだろうと、笑顔で予定をコミットした。  そこまでして私はなぜ、このレポートを書いているのだろうか。達成したい目標があるからだ。その目標のためには、このレポートを書き単位を得る必要があるからだ。  児童・生徒(以下、生徒とのみ記す)の気持ちを捉えるとなれば、主体、主格は捉えようとする側、本レポートで言えば教師である。その教師が生徒にどのようにあって欲しいと考えているのか、前提を置きたい。「生徒には『○○を達したい』という目標を持って生き続けて欲しい」と考えているものとして書き進めることにする。  人の気持ちを捉える、つまりは人を惹きつけるために必要なことは、たった一つ。他者と大きく異なる何かを有していることが、明らかな状態にあることだ。例えばあなたが、街を歩く人々全員に惹きつけられることがあるだろうか。歩いている人の多くにあなたは「他者と大きく異なる何か」を見いだすことはない。故に、惹きつけられることもない。しかしたまに、街を歩いているだけの人にも惹きつけられることがある。例えば芸能人が歩いていたら。あなたにとってその芸能人が「他者と異なる何か」を持った唯一無二な存在であったのなら、惹きつけられるだろう。  つまり生徒の気持ちを捉えるために、教師は「他者と大きく異なる何か」、生徒から見て唯一無二な存在である必要がある。そのような存在となるためには何でも構わない、自分にしかできない何かを身につければよい。ただ、あくまで生徒から見て唯一無二となる必要がある以上、生徒にわかりやすい「何か」でなければいけない。  例えば、被服に力を入れて、週に何日かは自作の服を着ている先生であること。もちろん単なる服ではいけない。その先生が情熱を注いでいることが明らかである服、他とは違う服を選ぼう。それは和服かも知れない、ロリータファッションかも知れない。もしそんな先生がいたとしたら、任意の主観による是非はさておき、生徒が惹きつけられ、その心を捉えられること間違いない。  また例えば、文学に力を入れて、教材として自作の小説を用いる先生であること。力を入れすぎたあまり、有名文学賞でも取っていれば、その情熱の注ぎようは明らか過ぎよう。生徒が惹きつけられ、その心を捉えられること間違いない。  その唯一無二を以て教師は、学校で生徒に対し目標の存在を示さなければならない。  生徒は少なからず「なぜ今、学校で勉強しなければいけないのだろうか」という疑問を持っていよう。しかしその疑問は、教師の考える「あって欲しい生徒の姿」と実際の生徒の姿が重なることを妨げる。将来どころかその時点で、生徒は一日の大半を過ごす学校生活において、目標を失っているのである。  小中学生に好きな教科を問うと、実技科目が返ってくることは少なくないだろう。音楽や体育、また、調理実習限定で家庭科などと言う答えもあろう。どうして算数・数学、国語や社会ではなく、音楽や体育なのか。家庭科の中で調理実習だけが特別扱いなのはなぜなのか。  それは、自らの達したい目標が、その教科の中に見いだせるか否かにかかっているのではなかろうか。最もわかりやすいのは調理実習。おいしいものを食べるという生徒にとっての目標が明らか故に好まれる。家庭科のいわゆる座学が好まれないのは、教科書を読むことの目標が生徒にとって不明確だからだ。  前出の例を実践すれば、被服を学ぶことで、どんなことができるようになるかが生徒にわかる。綺麗な和装、可愛い洋装をする目標のため、学んでいるのだという意識を持つこともできよう。語学を学ぶことで、文章で無数の世界を創り出せるようになるとわかる。創作を通じて人に喜怒哀楽をプレゼントするために、学んでいるのだという意識を持つこともできよう。それら意識は「私も○○したいから」という目標に繋がっていく。  教師は学校の中で、生徒に対して目標を体現する役割を果たさねばならない。その手段は、教師が日頃から努力すべきことと同じく、何かに圧倒的な情熱を注ぎ、結果を生徒に示すことである。  以降、余談の感もあるが。私は教師になり、上述の自作ロリータファッションで教壇に上がってみたいと考えている。例に挙げた被服による目標を示すためだけではない。確実に受けるであろう、周りの教師、保護者からの逆風に対し、どう対処するのか。それを実際に見せることで、あらゆる教科に根ざす問題解決能力の有用性を目の当たりにして欲しいと願っている。生徒たちが持った目標がどんなものであろうと、諦める必要がないことを確信して欲しい。  私が今、情報サービス産業の前線で働いていることは、目標のために必要なこと。例えば逆境の中での説得力は現業における基礎能力である。社会人経験が教師だけでは、言うまでもなく教師の中で傑出することはできないだろう。つまりは生徒の目に唯一無二として映らないのである。 参考文献 吉田辰雄, 大森正『教職入門 ―教師への道―』, 図書文化社, 1999年 岸信行『心の教室 輝く時のなかで』, めいけい出版, 1999年