君の瞳に天の川

プロローグ 〜 七夕の夜に 〜

 七夕の夜を流れる天の川。
 きらめく星たち、願いはね。
 あの子の瞳に映る、きらめく天の川が見たい。
 たくさんの星、その中のただ一つになりたい。

第一章 〜 輝きだす星たち 〜

「ユキちゃぁ〜んっ、おはよっ!」
 突然、後ろから飛びつかれた。
 朝だぞ、それも二学期初日の。ったくもぉ…。
「おい、明日香ぁ。オレは夏バテが抜けきってないんだからさぁ。」
「だからぁ、こうして明日香ちゃんが元気づけてあげてるのっ!」
 このうるさいのが、幼なじみの池沢明日香(いけざわ あすか)。
 生まれてこの方、ずっとお隣さんという筋金入りの幼なじみだ。そして、ずっと同じ学校の同じクラス。もちろん同い年の高校二年生。
 そしてユキちゃんと呼ばれたのは、そう、このオレ。本名、菅原幸浩(すがわら ゆきひろ)。名前の幸浩から取って「ユキちゃん」だそうだ。この呼び名は女の子と勘違いされることも多く、オレ自身は余り気に入っていないが、小さい頃からこう呼んでいた明日香にしてみればそんなことはどうでも良いらしい。オレは「ユキちゃん」以外の何者でもないんだとか。何年か前にやめさせようとしたが、「ユキちゃんはユキちゃんだもんっ」とか言われて却下されてしまった。
 何はともあれ、久しぶりのいつも通りが、今日も始まった。

「みなさん席は決まりましたか。」
 夢の原高校、二年三組の教室は静まり返った。
 恒例の席替えが終わり、もう一つの恒例行事を迎えようとしている。
「それでは、文化祭委員の選出をしたいと思います。誰か、立候補する人はいませんか。」
 ……。
 …………。
 誰もいない。去年もそうだった。
 オレの通う高校、夢の原高校は、やたらと文化祭に協力的な生徒ばかりだ。通っていた中学や、その辺の高校などと比べるまでもなく。ならば、なぜ誰も立候補しないかって? みんなそれぞれの仕事が忙しいからだったりする。部活に所属するものは部活の仕事で、普段は帰宅部のヤツも、文化祭前だけはクラスのために放課後働く。中には文化祭のために団体を作るヤツらもいるのだ。もちろん、そうして完成される文化祭はとても凄い。凄いとしか言い様がないくらいに、凄いわけだ。ただでさえ忙しいのに、その上、凄いとしか言い様のない文化祭のまとめ役など、買って出るようなヤツはいない。
「いないようですね。では、くじ引きで決めます。一番前の席の人から、くじを引いてください。」
 くじを引く人引く人、不安げな顔をしている。
 そして、引き終わった人は皆、ほっとした顔になる。
 後ろの窓側という、最高の席を獲得したオレは、このくじでは最悪の順番だ。一番最後なのである。そして、今、オレの番が回ってきた。周りに暗い顔しているヤツは一人もいない。本日の欠席者数、ゼロ。
「…、当たり、引きました…。」
「男子は菅原くんに決まりました。女子は、私、桜野です。菅原くん、今日の放課後、文化祭委員の会議があるから出席してくださいね。」

 はぁ、ついてないなぁ。
 オレは部活に所属しているわけでもないから、楽しようと思えば楽をできるわけだが…。どういうわけか、各方面から雑用が回って来るんだよな…。去年は、それだけで死にそうだったんだぞ。ったく、今年はどうなるってんだよっ。あぁ、仕事の山。勤労青年まっしぐらだよ。
 そして、メインイベントを終えたホームルームは、クラスの出し物などを決める時間になった。ま、オレにとってはどうでも良い話。何をやろうと、仕事の山が待っているんだからね…。
 さて、ホームルームも終わって放課後だ。これから会議だ。仕事の山だ。
 あぁ〜っ、なんでこう、悪い方ばかりに考えが行くんだよぉっ!
「へへぇ〜っ。ユキちゃんおめでとっ! 今年は去年以上に働けそうだねっ。」
 明日香のヤツ、なんか凄く嬉しそうだぞ。
 友達なら思いやりってものはないのかね。
「幸浩ちゃん、実行委員なんですかぁ? それは困りました…。今年もまた、演劇の脚本、手伝ってもらおうと思っていたのにぃ。」
 と、早くも仕事の山を築いてくれたのは隣のクラスの真奈倉紗衣(まなくら さえ)ちゃん。オレと明日香とは、小学校からの付き合い。紗衣ちゃんは明日香に比べて静かで、なんでもそつなくこなし、いかにも女の子って感じのタイプ。もちろんルックスだって文句なし。ストレートのロングヘアがとっても綺麗。が、たまに恐ろしい言葉を放つのは玉に瑕か。
「今年もか? 紗衣ちゃんが作者ってことになってんだろ? 自分で書けよぉ。」
「でもぉ、幸浩ちゃんが手を入れると、こう、魔法がかかったように良いお話になるんだもん。」
「でもなぁ〜。」
 オレが渋っていると、嬉しそうな声がする。
「ユキちゃん、紗衣がこんなに頼んでるのに断る気なのぉ? 知らないわよぉ〜。紗衣ちゃんファンに恨まれてもぉ〜。」
 おいおい、何を訳の分からないことを言いだすんだよ。
 大体、何だ、その紗衣ちゃんファンって?
「ほぉら、ユキちゃんやってくれるって。明日にでも持ってくれば見てくれるってさ。さすがユキちゃんよねぇ〜。仕事を買って出るなんて。」
「…悪徳商法だな。」
 そうぼやいても、誰も聞いてくれてはいないようだ。
「明日香ちゃん、ありがとぉ〜。」
「いいってことよ、紗衣。あ〜、人に感謝されるって素晴らしいことねぇ。」
 明日香、あとで覚えてろよな…。
「ほら、ユキちゃん。遅れるわよ、文化祭委員の重要な会議に。ほらほら、早くしないとぉ〜。」
「はいはい、わかりましたよ…。じゃぁね、紗衣ちゃん。」
「バイバイ、ユキちゃんっ!」
「お前じゃねぇよ。」
「ふふっ、明日よろしくお願いしますね、幸浩ちゃん。」

 さて、会議に出ますか…っと。
「菅原くん、一ヶ月間よろしくね。」
 もう一人の受難者、桜野紅祢(さくらの あかね)さんだ。成績優秀、容姿端麗、まさにこの言葉がぴったり。眼鏡をかけて、制服の着こなしは校則通り、髪は後ろでまとめるという地味な格好だが、それでも群を抜いて綺麗なのだから。成績の方も、学年で最上位クラスに位置する。しかし、桜野さんは学級委員も務めていて、クラスだけでも相当忙しいはず。その上さらに文化祭委員なんて、いくらなんでも大変だよなぁ。オレはまだマシな方なのか、と錯覚してしまうくらいだ。
「お互い地獄のような日々だろうけど。ま、楽しくね。桜野さん。」
「じゃぁ、行きましょうか。そう、最初に断っておかないとならないことがあるの。私、学級委員の会議もあって、文化祭の方は半分くらいしか出られないんだけど…。ごめんなさい、資料とかもらっておいてくれない?」
 大変だよなぁ〜、二つ掛け持ちは。
 感心しちゃうよなぁ、こりゃ。しかし、重なる会議に途中までとは言え出席させるのも可哀相。
「そっかぁ、ん〜、それなら文化祭の方は欠席で構わないよ。オレが出るんだし、同じことを二人で聞くのもアレだしさ。学級委員、忙しいんでしょ?」
「ええ、まぁ、そうだけど…。私も文化祭委員だし…。」
「構わない構わない。オレがやっておくから、ほら、ね?」
「…ありがとう。じゃぁ、お願いします。」
 桜野さんは学級委員として二階へ、オレは文化祭委員として三階の会議室に向かった。

「それでは、一通り自己紹介した上で、代表者を決め、今年の文化祭の概要について…」
 んなもん聞いてられるかっての。
 オレは颯爽とペンを走らせる。別に議事録を作っていたりするわけではない。長期休暇明けの初日と言えば、これしかないでしょ。夏休みの宿題をしっかり片付けないといけない。ということで、最後に残ったレポートに精を出しているわけだ。
 自己紹介は月並みに、代表はオレじゃなきゃ誰でも良い、概要なんてものは配布される大量の資料にあとで目を通せば十分。とにかくレポートなんだよ、わかるかね、君たち。って、終わっちゃったよ、会議。あぁ、もう結構な時間が経ってたんだな….。

 みんな忙しいのだろう、せわしなく部屋から出ていく。
 ん? あの前の机の資料やら何やらの山は? 誰かの忘れ物かな…。
「ぅ〜、どうしよぉ〜っ!」
 ん? 声がしたよなぁ?
 書きかけのレポートと配布された資料をカバンに入れて、問題の机に近寄ってみる。と、一人の女の子が悩んでいる。まさか、あれを一人で運ぶ気なのか? そりゃ、あの荷物を持とうなんて考えたら、悩むほかないだろうなぁ。
「ねぇ、どうしたの?」
「ぁっ、あの、この荷物、どうやって運ぼうかなって、思ってたんです。」
 イヤ、だからね、運べないって、それは。
「どうしたら良いと思います?」
「そうだなぁ…。」
 やっぱり、それしかないよなぁ…。
「オレが手伝うっていうのはどうだ? 結構名案だと思うぞ。」
「っ、ありがとうございますぅ〜っ! 菅原先輩っ!」
 って、なんでオレの名前を知っているわけ? そんな顔をしていたのだろう。
「だって、さっき自己紹介なさったじゃないですか。まさか、先輩、私のこと覚えてないんですかぁ?」
 ぅ、図星。
 こんな展開になるとわかっていれば、ちゃんと聞いたのに、自己紹介。
 もちろん、今更後悔しても後の祭り。
「ん、まぁ、ほら、レポートなんかをやってたからさ…、宿題の。」
「あぁ、香奈、ショックですぅ。」
「や、大丈夫。思い出した、香奈ちゃんでしょ、一年生の。」
「ひゃっ、ありがとうございますぅ、聞いててくれたんですねぇ。」
 それは今の話を聞いていれば答えられることなんだって。
「なんでわかったんですかぁ?」
「そりゃ、自分で言ったじゃない…って、あぁ〜っ!」
 バカすぎ、オレ。思いっきり乗せられたぞ…。
「先輩、まだまだですよぉ〜っ。じゃぁ、そのお詫びとして、はいっ、これを香奈の教室まで運んでくださいねぇ〜っ!」
「わかったわかった。はぁ、下級生に遊ばれるオレって、何なんだ…。」
「おバカさんですぅ〜っ。なんて、冗談ですよ。とっても親切です。ありがとうございます。で、改めて自己紹介しますから、今度は聞いててくださいね。あたしは一年八組の南香奈(みなみ かな)と申します。ブラスバンド部でトランペットを吹いているんですよぉ。そだ、文化祭のステージ、見に来てくださいね。」
「南香奈ちゃん。今度はしっかり覚えたからね。」
 ひたすら明るい子で、人なつこいというか、人見知りをしない性格みたいだ。教室まで、ずっと話しっぱなしだった。まぁ、楽しくていいんだけどさ。

 さて、そろそろ帰りますか。
 夕日で赤く染まった廊下に、人影は見られない。そこはさすがに初日である。今日は文化祭委員の面々が配付された資料をまとめ、クラス全員に配るプリントを作成する。みんなはそのプリントの内容を基礎に作業を開始するわけだ。だから、まだ具体的な文化祭の準備をできない。明日からはこの時間もにぎやかになるだろう。
 そんなことを考えながら、ゆっくり廊下を進むと、なにやら一人、ぼーっと立っている人がいる。
 イヤ、ぼーっとしているわけではないらしい。階段の前で、右を左をきょろきょろ見回してる。両手には大きな荷物を抱えているけど、何してるんだろ。
「ねぇ、どうしたの?」
 オレの声が廊下に響く。
 立っていたのは女の子だ。急に声をかけられてびっくりしたのか、目を丸くして言う。
「ぇ、ぁ、そ、そのぉ…。きょ、教室が…ぁ、わからないんです…。」
 …転校生かな。でも、なんでこんな時間に。ま、いっか。
「ん〜、どこの教室?」
「ぇっと、生物室、なんですけど…。」
 …今、生物室って言ったよな? 生物室ぅ? ん〜。
「生物室、でいいの?」
「ぇ、そ、そうです…。」
 かなり緊張しているのだろう。話し方はおぼつかないし、顔は下を向いちゃうし。なんか残念だなぁ。と言うのも、とても可愛い子だったりするからだ。ちょっと見た感じでは、たれ目気味の幼い顔立ち、下級生かな、と思う。
「んじゃぁ、こっちだよ。ほら、荷物、片方持つからさ、一緒に行こっ。」
「ぇ、あ、その、ぁ、じゃぁ、これお願いします…。」
 と受け取った荷物はかなり重い。何が入ってるんだ、いったい。
 転校生なら、色々とあるか。そうだ、ホントに転校生かどうか聞いてみようかな。
「君、ひょっとして転校生?」
 急に言われて驚いたのか、うつむく顔が不自然に揺れた。
「ぁ、はい。今日から転校してきました…。」
「へぇ〜、そっか。そうだ、オレは二年三組の菅原幸浩。これから、よろしくね。」
 と、可愛い子の前だけに、きっちり自分を売ってみたりする。
「っあ、あたしは雫美夜(しずく みや)と申します。三年生です…。」
 三年生ってことは、上級生か。ん〜、さっき見た顔や人見知りを合わせると、どうもはまらないと言うか、何と言うか。それに、反応が妙に幼いような気がする…。人見知りもここまで来ると、なんか、凄いというか。
 そんなだから、当然、生物室までは無言で歩いた。
 何を話しても、きっとうまく話せないだろうし。新しい学校なので、緊張しているのかもしれない。オレは転校したことがないからわからないけど。

「ほら、ここが生物室。んでも、誰かいるのかな…。」
「ぃぇ…、隣の準備室に…。」
「あ、隣の準備室なら先生がいるよ。ちょっと待ってね。」
 そういって、隣のドアをノックして、雫先輩を入れてあげる。オレは荷物をおいて、今日の仕事は終了。
「じゃぁね、雫先輩っ!」
 返答の期待はできないが、しっかり挨拶してその場をあとにした。

 今度こそ学校を出て、帰途につく。
 ふぅ、今年もいきなり、嵐の予感。どんな文化祭が待っているのやら…。

第二章 〜 きらめく星に憧れて 〜

「香奈ぁ、さすがに今日は帰ろうよぉ〜。」
「ん〜、でもぉ、これ明日までに仕上げないといけないんだもん。」
「家でやりなよぉ〜。帰れなくなっちゃうぞっ。」
「こんな重いの持って帰りたくないってばぁ。」
「もぉ、香奈ったらぁ。あたし、先に帰っちゃうからね。」
「うん、ごめんね。」
 外は雨。
 天気予報では「大型の台風が近づいています」って言ってた。
 ここ最近は文化祭の準備で大忙し。放課後もみんな残って、にぎやかに作業。でも、さすがに今日はみんな帰っちゃった。あぅ、親友の清美も帰っちゃったよぉ、香奈を残して。もちろん、香奈が帰りのお誘いを断ったんだけどね。

 だって、この資料の山を見てよぉ。
 アンケートの集計や内容をまとめて印刷にかけるもの、必要事項を記入して提出するもの。いろんなのが入ってる。これ全部、明日締め切りなんだもん、帰れるわけないよぉ。家に帰ってやるにしても、この資料を持ち帰れる? 無理だよぉ、絶対。
「ガンバろっと。」
 誰もいないから、自分で自分を励ましてみたりする。
 あぅ、香奈、寂しいの苦手なのにぃ〜っ。
 と、騒いだところで誰もいないの。
 今日は他のクラスの人もみんな帰っちゃったんだと思う。廊下も静まり返って、昨日までとは全然違うの。やだなぁ〜、一人って。
 仕方ない、作業始めようっと。
 そして、早く帰ろうっと。
 ……。
 …………。
 ………………。
 ぁ〜、やだよぉ、香奈ぁ、静かなのは苦手なのぉ。
 ……。
 いいもんっ。ガンバるもんっ、香奈、ちゃんとやるんだもん。
 まずはアンケートの集計をしよう。えーっと、どれも選択式だから、集計は簡単だよね。最初が「ア」、次が「ウ」…。

「あ、香奈ちゃん。」
 へっ? 今、誰か香奈を呼んだ? 誰、誰なのぉ?
 だってだって、誰もいないよね? なんで?
「おーい、後ろだってば。」
 えっ? 後ろ…
「あ、菅原先輩っ!」
 教室にひょこっと顔だけ出して、手を振ってくれてる。
「覚えててくれたんだ。」
「はいぃ〜。でもぉ、どうしてここに?」
 今日は台風ですよ。
 みんな帰っちゃったのに、なんでいるんですかぁ?
「や、ねぇ、そりゃ、こう、いかんともしがたい事情というものが…。」
 先輩は苦笑いしながら答えてくれました。
「あ、同じですぅ〜っ。香奈も明日までにやらなければならないことがいっぱいで、仕方なく学校に残ってるんです。先輩もそうなんですね。っそだ、一緒にやりません? ね、ほら、一緒の方が絶対楽しいですよっ!」
 やったぁ、一緒にやろっ。
 誰もいないなんて寂しいもんね。
「ん〜、オレ、やること終わったんだけど…。そうだな、何か手伝うよ。」
「ホントですかぁ〜っ。ありがとうございますぅ!」
 手伝ってもらえるなんて、もっと嬉しいっ。
 早く終わらして、早く帰るんだぁ〜。
「それじゃぁ、これを記入しておいてください。適当で構いませんから。先輩、ホントにありがとうございますぅ〜っ。」
「ま、この雨じゃ、外に出るよりは楽しそうだしな。」
 えっ?
 だって、この雨、やみませんよ…。
「先輩、でもぉ、この雨の中帰ることになるんですよね…?」
「それはそうだけどね。ほら、やむかもしれないし。」
「台風ですよぉ?」
「ん〜、世の中何があるかわからないし。」
「無理ですよぉ。」
 すると、先輩はいたずらっぽく笑って言います。
「無理かなぁ、やっぱり。ま、それなら明日帰るとか、どう?」
「えぇ〜っ、香奈、イヤですぅ。」
 そ、香奈は早く終わらして、早く帰るって決めたんだもん。
「さて、作業にかかりますか。」
「はいっ、お願いします。」
「んじゃ、ちょっとこの椅子を…」
 ん? 先輩、何するんですか…?
 急に椅子を持ち上げて、机を動かして…。
「ねっ?」
 先輩は笑いながら香奈の方を向いた。
 あ、そっか。香奈と向かい合わせになってくれるってことですねぇ。
「二人しかいないのに、お互いそっぽ向いていてもつまらないだろ?」
 そう言って、優しい笑顔を見せてくれます。
「そうですね、香奈も寂しいの嫌いです!」
「ま、作業を始めると結局無口になるんだけどな。」
「それでも、いてくださいね。」
「わかったわかった。」
 香奈の前に先輩がいるだけで、なんか、急ににぎやかになった気がするの。何となく作業も楽しいな。やっぱり、寂しいのは嫌い。
 でも、実際にはさっきと変わらない。香奈も、先輩も作業中。一言もしゃべらず、机に目を落としているの。先輩が言ったとおり、結局無口になっちゃった。でも、いいの、楽しいから。

 …ふぅ…。
 集計はこれで終わりっと。
 ふと香奈が顔を上げると、先輩はまだお仕事中。
 先輩って凄いですよね、そう思ったりして、つい見とれてしまう。
 だって、みんなは帰っちゃったのに、先輩は香奈のお手伝いをしてくれるんだもん。それも、とても楽しそうに。
「なぁに? 香奈ちゃん。」
 机を見ていた目が、香奈を見る。邪魔しちゃったかな。
「何でもないです。ただ、先輩って凄いなって。」
 そう言うと、先輩はなんだか不思議そうな顔をした。
 香奈は思ったことを正直に言ったつもりなんだけど…、なんか変なこと言っちゃったかな? そんなことないよ…ねっ。
「そうかなぁ。何が凄いと思うの?」
「だって、いつも誰かのお手伝いさんをやってるじゃないですか。」
 実は毎日先輩のことを見ていたりするの。
 そして、見るたびにどこかでお手伝いさん。お仕事が忙しそう。香奈はいつも、凄いなぁ〜って思います。誰かの手伝いをするなんて、簡単なことじゃないから。それなのに、いつも、必ずガンバってるんだもん。絶対凄いですっ!
「ん〜、まぁねぇ。その、お手伝いさんって言うのはアレだけど…、確かに手伝わされてるよなぁ〜。今日も、そのおかげで学校に残ってたわけだし。ご主人様は早々にご帰宅しちゃったけど。」
「あ、そうなんですか。そっか。そうじゃなきゃ、いませんよね、こんな日に。」
 ちょっと困ったような顔の先輩。
 でも、そうですよね。香奈だって仕事がなかったら帰ってたもん。
「そうだろなぁ。まぁ、今更そのことを言っても仕方ないけどさ。」
 そう言うと、笑ってくれる先輩。
 優しいですよね、先輩って。
「香奈も仕事ガンバらなくちゃ!」
「あと少しだし、サクッと終わらせようね。」
 やっぱり笑ってくれる先輩。
 先輩、その笑顔がお仕事を増やしてるんですよ、なんちゃってねっ。

 …あと少しだぁ〜っ。
 あぅ、やっと帰れる…。いくらなんでも、今日は働き過ぎだよぉ。
 でも、もう仕事はほとんど終わり。なんか、ちょっとだけ嬉しい。さぁ、ガンバるぞ…
「ひゃぁっ!」
 真っ暗ぁ〜っ。
 なんで、ねぇ、なんでっ!
「ついてないなぁ〜。停電だよ、香奈ちゃん。」
 はぅ? へ? ていでん?
 あ、停電かぁ。
「なぁんだぁ、停電なんですねぇ、ただのぉ。」
 あぅ、香奈ったらなんで悲鳴なんか上げてるのぉ〜っ。
「そ、ただの停電。まぁ、突然だから驚くけどね。」
 みゅぅ、悲鳴、しっかり聞かれちゃったみたい〜っ。
 で、でも、驚いちゃうますよ、驚いちゃうってばぁ。
「そ、そうですよねぇ、驚いちゃいますよね、驚いちゃいましたもん。」
「大丈夫だよ、すぐに戻るって。」
「は、はい…。」
 やっぱり、香奈が大丈夫じゃないって、わかっちゃう?
 先輩の声が、さっきまでと少しだけ違うような気がします。香奈のこと、心配してくれてるのかなぁ…。
 真っ暗で何も見えない。時々雷が光るけど、カーテンを引いてあるせいか、さほど明るくないの。でも、先輩は笑っていると思う。優しいもん、先輩。
 ……。
 …………。
 ってぇ、優しいならしゃべってくださいよぉ〜。真っ暗で静かなんて、怖いんですからぁ〜。ねぇ、ねぇってばぁっ!
 ………。
 ……………。
 先輩ぃ〜、いるんでしょぉ〜、香奈、泣いちゃいますよぉ。うぅ〜、いますよね、先輩。いるもん、きっと。
「ねぇ、先輩……っ! ぃやぁっ! やだぁ〜っ!」
 香奈の肩、誰かいるぅ〜っ。誰なのぉ!
「先輩っ! ねぇ、先輩ってばぁ!」
「なぁに。」
 優しい声。ちょっとだけ安心。…あれ? おかしいな…。
「どうしたの?」
 先輩…、どこにいますぅ?
「オレは香奈ちゃんの後ろにいるんだけど…、驚いた?」
 へっ? じゃぁ、さっきの後ろの人は…
「あぁ〜っ! 先輩だったんですねぇ。ひどいですぅ、ひどいですひどいですひどいですぅ〜っ。香奈、怖いの嫌いなのにぃっ!」
「あ、ごめん。ね、ちょっと脅かそうと思っただけなんだけど…。怖かった? ごめんね、もう絶対にしないから、ね? 許してくれ、な。お願いだよぉ。」
 そぉですよぉ。ホントに怖かったんですからぁ、もう、泣いちゃうんですからぁ。
「ごめん、大丈夫かな? もう何もしないから、ね?」
「…ホントに、怖かったんですからぁ…。」
 香奈、泣いてるんですからねっ。ホントに、怖かったんですからねっ。
「ごめん。」
 そう謝って、先輩は香奈と手をつないでくれるんです。
「はい…。もう、大丈夫です…。」
 ちょっとだけ、怖くなくなりました、先輩…。

 そのとき、パッと明るくなった。電気が戻ったの。
 そして、目の前にいる先輩はまた謝ってくれます。
「っあ、ごめんね、香奈ちゃん。怖がらせちゃって…。」
 そうですぅ、怖かったんですからね…ぇ?
 あっ、やだ、香奈ったら涙流してるっ!
 すぐに香奈はそっぽを向いた。
 だって恥ずかしいもん、泣いた顔を見られるなんて。涙、拭かなきゃ。あれっ、手が…、ぁ、先輩…。
「ぁ、そうだね、手、離さないとね。」
 いつもと違う笑みで、手を離してくれる先輩。
 先輩もちょっとだけ決まりが悪そう。
 ありがとうございます、先輩。怖くなくなったもん。
「…先輩。」
 香奈は涙を拭きながら話しかけてみる。
「なに?」
「その…、さっき、は…、ありがとうございましたっ。」
 そして、元通りの笑顔をさっと先輩の方に振り向けます。
「うん、ごめんね、もうこんなことしないからさ。」
 もぉ、先輩ったらぁ、香奈はお礼を言ってるんですよぉ。
 なのに…。真剣な顔で謝らないでください、恥ずかしいです…。
「はい、香奈、突然でちょっとびっくりしちゃっただけですから。」
「そっか、ありがと。」
 そう言って、いつもの笑顔を向けてくれました。

 途中ちょっとだけ怖かったけど、これでお仕事は無事終了。
 最後の一文字を書いてっと。
「終わりっ!」
「あ、ちょっと待って、こっちももうすぐだから…、さぁて、これで終わりだな。」
 そう言うと、ちょっとだけ疲れた笑顔を向けてくれる先輩。
 きっと、香奈も同じ顔だと思う。やっぱり疲れたもん。
「すっかり暗くなっちゃったなぁ。もう九時か。」
「えぇ〜っ、香奈、ご飯食べてませんよぉ!」
 うぅ、毎日楽しみなのにぃ。
「香奈ちゃん、そういう問題じゃないってば。」
 あぁ〜っ、先輩がいるんだぁ!
 と、目を丸くした香奈がそんなにおかしかったのか、先輩は大笑い。ひどいんだからぁ、香奈にとっては重要な問題なのぉ!
「あ、香奈ちゃん怒ってる?」
「怒ってますよぉ〜っだ。先輩、笑いすぎです!」
 そんなことを笑いながら言ってみる。
 良かったな、先輩がいてくれて。
「わかったわかった、笑うのやめるから、機嫌なおして、ね?」
「仕方ないなぁ〜、許してあげますっ。」

 机の上を片付けて、帰る支度をする。
 やぁっと、終わったぁ〜っ。
「雨、やんでるみたいだけど…。」
 窓とカーテンをパッと開けて、先輩は香奈の方に向き直ります。
「ほら、やんでるでしょ?」
「あ、ホントですねぇ〜。」
 すっかり雨はやんで、お月様まで見える。
 綺麗だなぁ〜。
「…綺麗だね、空。」
「はいっ、綺麗です、お月様。」
 持って帰るつもりのトランペットに手をかける。
 そうだ、先輩にお礼しなくっちゃね。
「ねぇ、先輩っ!」
「なぁに?」
「今日はありがとうございましたっ!」
「お手伝いさんだからね、当然のことをしたまで、かな。」
 あぁ〜、素直じゃないんだから。
 でも、いいです。
「ねぇ、先輩!」
「なぁに、香奈ちゃん。」
「これ、聴いてくれません?」
 トランペットをあげて見せる、香奈の笑顔と一緒に。
 お礼ですよ、って。
「喜んで。じゃ…」
 そう言って先輩は全ての窓を開けた。
 そして、電気を消したの。うぅ、暗くて怖いの嫌いなのにぃ〜っ。
「先輩っ! っもぉ…」
 香奈が言いかけると、先輩はいつもの笑顔。
「せっかくだし、こっちの方が綺麗じゃないかと思うんだけどさ。」
 なんてこと言うんです。
 でも、そうかもしれません。今は先輩の笑顔が見える。月の光。星の光。周りが綺麗に見える。香奈も綺麗に見えてるのかな。先輩の笑顔もとっても綺麗。

 先輩の拍手とともに、香奈は演奏を始める…。
 大好きですっ、先輩っ!

第三章 〜 数多の星の中で 〜

「桜野さぁん、これ、出来上がりましたぁ〜。」
「桜野さんっ、お願いっ、代わりにやっておいてっ。」
「桜野さぁん、倉庫からさぁ、持ってきてくれないかなぁ。」
「桜野さんっ、人手が足りないのぉ、手伝ってぇ〜っ。」
 文化祭シーズンは忙しい。
 私は学級委員に文化祭委員。忙しさは周りの人の何倍にもなる。手が空いているときは滅多にない。
 頼まれたら、私の答えは決まっている。
「わかりました。」
 そう一言答えて、仕事をこなす。
 何かにつけて「学級委員だから」とか、「文化祭委員だし」とか言われて仕事が増える。正直言うと、疲れますね。私だって、同じ人間、なんですから。それなのに、私だけは大量の仕事。
 周りは私がなんでもできると思っている。絶対そんなことない、決まっているのに。私だって同じ人間だし、普通の女の子なんです。特別扱いなんか、されたくないんです。
「桜野さん、このプリント、職員室に持っていってくれない。」
 また仕事。
「わかりました。」
 また返事。
 もう慣れてしまった。
 そして、私が教室を出ようとしたとき。
「ユキちゃぁん、あたし、もう疲れたぁ〜っ。代わりにやってぇ〜っ。」
「おい、菅原。可愛い子ばっかり世話するなよ、こっちもなんとかしろ。」
「幸浩ちゃぁん、今度の演劇の稽古、ちゃんと来てよぉ〜っ。」
 ぁ、私と同じ、いるんだ…。
 急に聞こえた声が、何となく嬉しい。
「んだよぉ、いっぺんにはできないねぇ。ってより、オレは全部やるつもりもない。」
 なんだ、やっぱり…。
「そんなこと言っちゃって、いつもやってくれるよね。だから、ユキちゃん大好きっ!」
 えっ…。そうなの…。
「ねっ? ユキちゃんっ!」
「ってめぇ、こらっ、重いだろっ!」
 池沢さん、よね、いつも菅原くんと一緒にいるの。
 その池沢さんが、菅原くんに飛びついた。飛びつく、か…。
 何となく嬉しくなって、やっぱりいつも通りで。そんなことを思っていると、また頼まれる。
「桜野さん、次でいいから、ここ、やってくれないかなぁ〜。」
「はい、わかりました。」
 いつも通り返事をすると、私は、いつも通り仕事を片付け始めた。

 今、私は校舎からは少し離れたところにいる。
 ここならば、もう仕事を頼まれることはない。残念ながら、ここにも仕事で来ているわけだけど、ちょっとだけ心が軽くなる。
「桜野さん、倉庫から掃除用具一式、持ってきてくれないかな。」
 私をなんだと思っているんですか。
 それくらい自分で取りに行っても罰は当たりませんよ。
 頼まれたとき、そう思った。でも、いつも通りの返事をした。

 倉庫には普段使わないものが入っている。そのため、校舎から離れた場所に作られたのだろう。その分、普通の学校のものより大きいのではないかと思う。ここ夢の原高校は、閑散とした新興住宅地にある、比較的広い学校。校舎から離れた、と言うと、行くのはそれなりに面倒。
 さて、倉庫の扉を開けて、モップにバケツ…。
「ねぇ、ユキちゃぁん、か弱い女の子にモップは持たせないよね〜っ? えっ? もちろんだって? ありがとぉ〜っ!」
「オレは何も言ってないからな。ほら、行くぞ、明日香。」
「えぇ〜っ、か弱い明日香ちゃんが可哀相ぉ〜っ。」
 あれ、菅原くんと池沢さんよね…。
 なんで掃除用具を取りに来ているんだろう。私が頼まれたんだと思ったけど…。
 ゆっくりと用具入れに近づくと、私が口を開く前に菅原くんが気付いたみたい。
「おっ、桜野さん。もしかして掃除用具を取りに来たの?」
「ええ、そうよ。でも、もう用済みみたいね。」
 私は、何となく笑ってみる。
 笑っているように見えたのかな、笑ったつもりなんだけど。
「それは助かった。ちょっと手伝ってくれない? これが意外と重くてさぁ。」
「わかったわ。」
 菅原くんはいつも笑っている。
 今も笑っている。その中でも嬉しそうな表情で言う。
「ありがとっ。いやぁ、明日香もこうだと嬉しいんだけどねぇ〜っ。」
「ユキちゃんのバぁカっ! か弱い女の子にぃ、そんなことを言うもんじゃないのぉ〜っ!」
 そのとき、私はふと立ち止まった。
 か弱い女の子、か。私はそうじゃないのかな、普通の女の子なのにね。私だって、そうなのに。なんで、私だけ特別扱いされるんだろう…。
 何となく、悲しいな。
「あいつ、逃げたな…。ごめんね、桜野さん。重いものを持たせちゃって。」
「ううん、構わない。」
 でも、そんなことは表情に出さない。
 慣れたから、こんな生活に。慣れたつもりだから…。
「桜野さん、いつも偉いよね。」
「そうですか…? でも、菅原くんだって、いつも仕事大変そうじゃない。」
 そう、私は知っている。
 私が仕事で奔走している最中、菅原くんを見かけることが良くある。そして、そのときには必ず仕事を手伝っている。最近、少しだけ、私と同じなのかな、とも思っていた。どうなのかな、実際の所は。菅原くん、同じですよね…。
「まぁねぇ、怠け癖のついたヤツらが友達だと、ろくなことがないってことだよ。」
 菅原くんは笑顔で私の方を見る。
「そう言って、いつもガンバっているんですね。」
 同じ、ですよね。
 私も精一杯の笑顔を振り向ける。
「そうだなぁ。ひょっとしたら、桜野さんと似たものかな、オレ? あっ、こんなことを言ったら悪いかなぁ。」
「っいえ、そんなこと、ありません。同じ、ですよね、きっと。」
 何となく嬉しい。
 私自身、心の中で喜んでいるのがわかる。初めてだから。私と同じ人、私が特別じゃなくなる人、普通の女の子にしてくれる人。
「まぁ、お互い、ガンバろ。あと半月もすれば、おさらばだしな。」
「えっ?」
 あ、いけない。
 私はつい声にしてしまった。
 あと半月、と言われたのが、なんだか寂しくて。
「あれ? 半月だよね、文化祭まで?」
「っえ、はい、そうですよ、ごめんなさい。」
 あと半月だけ、なんですか。
 私と同じでいてくれるのは、半月だけなんですか。
 そのとき、校舎の窓から大きな声がした。
「先輩ぃ〜、お仕事ですよぉ〜っ!」
 菅原くんも大きな声で言った。
「ごめん、忘れてたぁ。荷物おいてきてからなぁ〜っ。」
 そして私の方を向いて言った。
「ごめん、桜野さん。また仕事だ。オレは走って教室まで行くけど、桜野さんはゆっくりで構わないから。こういうときでもないと、仕事休めないだろ?」
「わかりました、そうしますね。」
 同じ、ですよね、私と。

 今日も文化祭の準備。
 私は仕事に追われていた。
 気付くと外は暗い。授業が終わって、もう随分経ったみたい。
 文化祭前とは言え、まだ半月あるだけに、多くの人はそんなに遅くまで残らない。夕日が消える頃、校舎に残る人は少なくなっていく。
 菅原くん、いるかな…。
 どうしてかわからないけど、何となくそんなことを思う。
 時間があるときは屋上にいる…。
 どこで知ったのか、そんなことを思う。
 行ってみようかな、屋上へ。
 なぜかわからないけど、そう決めた。
 いえ、なぜかわからないなんて言うのは嘘。
 私は、同じ人が欲しい。自分だけ特別扱いされるのが嫌い。私もみんなと同じだし、普通の女の子、そう思いたい。そうだから。絶対にそうなんですから。そして菅原くんは、私を普通の女の子にしてくれる人。
 だから会いたかった。

 階段を軽く駆け上がり、屋上へのドアを開ける。
 もう暗くなった空が広がっている。そして、端の方には人影がある。
「菅原くん。」
 私は少しだけ大きな声で呼びかける。
 あれが菅原くんって、決まったわけでもないのにね。
 でも、やっぱり菅原くんだった。
「あっ、桜野さん。」
 そう言って振り返ってくれた。
 菅原くんは笑っている。暗くて表情は見えないけれど、きっと笑っている。私にはそんな気がした。
 私が駆け寄ると、やっぱり笑っていた。
「どうしたの、桜野さん。」
 私は答えに困った。
 何となく、なんて答えられない…。
「まぁ、たまにはサボらないとね…。オレも疲れてさぁ。」
「そう、ですよね。」
 とても嬉しかった。
 今までずっと、特別扱いされて、疲れ切っていたから。
 私と同じ人と話せて、嬉しかった。
「私と、同じですね。」
「かもなぁ、お互い、過労ってヤツだよなぁ。」
 ですよね。同じ、なんですよね。
 私はとても嬉しかった。でも、戸惑いもあった。こんなこと、今までなかったから。どうしたら良いか、わからないから。初めて、だから。
 そんな私は、聞いてみた。
 なぜこんなことを聞こうと思ったのか、初めてだからわからないけど。
「菅原くん、私のこと、どう思う?」
 変な質問、ですよね。
「そうだなぁ…。やっぱり、凄いなって思うよ。いつもみんなに信頼されていて、なんでも完璧にこなして、イヤな顔一つしないんだもんなぁ。」
 嘘、ですよね?
 菅原くんまで、そんなことないよね。
 だって、同じだもの。私を普通の女の子にしてくれるんでしょ、そうだよね? そうじゃなきゃ、私…。
「ねぇ、菅原くんっ。私のこと、どう思うのっ!」
 必死だった。
 私と同じ、そう信じていたのに、違うなんて嫌だから。とても大切なものを失う。そんなの絶対に嫌だから。
「っど、どうしたの、桜野さん? オレ、なんかまずいことでも…。」
「バカっ! 私だって、普通の女の子なんだからぁっ!」
 何言ってるの、私…。
 バカだなんて、そんなこと言っちゃいけないのに…。
 菅原くんは困った顔をしている。それはそうよ。私が急にこんなことを言いだすなんて。
 でも嫌なの、絶対に嫌なの。
「ね、ねぇ、ちょっと、桜野さん、急にどうしたの…。」
 私の頬には涙が流れていた。
 人前で泣くなんて、何年もなかったこと。恥ずかしかった。でも今は、それよりも大切なことがあるから。絶対に失いたくないものがあるから。大切な人がいるから。
「お願いっ! 私を普通の女の子にして…。菅原くん、菅原くんだけなんだから…。私、特別扱いは嫌なの、嫌いなのっ!」
「べ、別に…、そんな、特別扱いだなんて…。」
「ホントに? 本当にそう思ってるの? 嘘は嫌いよっ!」
 何を言ってるの、私…。
 大切な人に、なんで、そんなひどいこと…。
「ホントだよ…。ねっ? だから、もう泣かないで…。」
「いいじゃないっ、泣いたって。泣いちゃいけないのっ?」
 嘘よ…。私、こんなこと言いたくない…。
「そ、そうだけどさ…。」
「やっぱり、私のこと変だと思ってるんでしょ! 嫌いなんだからぁっ!」
 ひどい…、そんなこと、思ってないのに…。
 私は、思ってない…。
 涙で前が見えなかった。菅原くんは、笑ってないよね…、こんなこと言っちゃったら…。
「違うって、そんなこと思ってないよ。ね、だから…。」
「じゃぁ、抱いてよっ! 普通の女の子みたいに、私を好きにしてよっ!」
「っ、そ、それは…。」
 そのとき、菅原くんは私の肩に手を乗せて、ふっと引き寄せた。
 菅原くんに近づけた。私、普通の女の子だよね。そうなんだよね。
 でも、その間隔が、それ以上短くなることはなかった。
「あぁ〜っ、ユキちゃん、やっぱりサボってるぅ〜っ。ちょっと手が足りないから、すぐに教室に来てよっ! じゃ、待ってるからね。早くしてよぉ〜っ!」
 後ろにある扉から声がする。
 池沢さんの声だ。池沢さんだったら…。
 私じゃ、ダメなの…?
「嘘つきっ! やっぱり、私のことなんて…。」
 菅原くんが私の肩を押さえたのは、私の顔をドアに向けないため。
 きっと、私が泣いているのを池沢さんに見せないためよ。
 なんでなの? 私は泣いちゃいけないの? なんで、私だけ…。
「特別だなんて、思ってないよ…。」
 私は何も言えなかった。
 菅原くんの声が、いつもと違ったから。
 その姿は、涙が邪魔して見えないけれど。やっぱり、私のこと、特別扱いしているから…。
「…普通の女の子を、抱けないよ…。」
 私に、ゆっくりと言ってくれた。
 そして、手を握ってくれた…。
「…ごめん。オレ、桜野さんを特別だと思っていたかもしれない。でもさ、今はそんなことない。絶対そんなことないから。ね、安心してよ。一人じゃないから、なんて言っても、ダメかな…。」
 嬉しかった。
 私は、ずっと一人だったから…。
「…ごめんなさい。わからなかったの、初めてだから…。」
「そっか…。」
 涙が止まらない。
 でも、嬉しい。
 そして、私は言ってみる。
「…ねぇ、私のこと、『紅祢』って呼んでよ…。それくらいなら、いいでしょ…。」
「あぁ、呼んでやるよ。『紅祢』って。」
「…ねぇ、呼んでよ…。」
 菅原くんは私の手を引いて、呼んでくれました。
「紅祢、今日は帰っちゃおうよ。たまには休みも取らないとねっ。」
「ありがとっ…。」

 私、普通の女の子、ですよね。

第四章 〜 流れゆく刹那の光 〜

 これで授業はおしまい。
 今日こそは逃がさないんだから。
「幸浩ちゃん、ねぇ、見に来てよぉ〜っ。」
 私は、逃がさないぞ、とばかりに隣の教室に飛び込み、幸浩ちゃんのカバンを持ち去る。
「これで見に来るしかないんだから、来てよっ。」
「あのなぁ、紗衣ちゃぁん、オレは他の仕事で疲れてるんだからさぁ…。」
 このカバン、そんなに大切なものが入ってるのかな。幸浩ちゃんは本当に困ったような顔で言った。でも、返さないからね。
「お願いっ! 今日だけでいいんだからぁ。」
「ん〜。」
「あらあら、ユキちゃん、今日も紗衣から逃げてるの?」
 明日香ちゃんが間に入る。
 そう、今日も、なの。私、真奈倉紗衣の所属する演劇部は、文化祭用の演劇を稽古中。そして、今、ちょうど全体的な出来をもう一度見直す段階に来ている。ここで当然、脚本家に見てもらわないわけにはいかない。あ、脚本は私が書いているんだけれども、その、手直しというか、味付けというか…を、幸浩ちゃんにやってもらったの。そこで、是非とも貴重なご意見をいただきたいと思って、毎日誘ってるのに。
「明日香、お前は黙ってろ。これは、オレと紗衣ちゃんの問題だ。大体なぁ、オレはちょっと手伝っただけで、そんな偉いもんじゃないんだよ。だからぁ…。」
「それは困りますぅ! 幸浩ちゃんは重要なんですからっ!」
 正直、幸浩ちゃんの力は大きい。だから、欠かせないの。
「ほらぁ、あたしも行ってあげるから、ね、紗衣の頼みを聞いてやって。」
「くぅ〜っ、どうしてオレはこう、不幸な境遇に…。」
「あ、来てくれるんですねっ。ありがとうございます、幸浩ちゃんっ!」
 こうして、視察団御一行は動き出した。

 演劇部の練習場所である講堂。
 とても広くて、その座席数も、全校生徒数より多い。
 その真ん中にぽつんと二人、幸浩ちゃんと明日香ちゃんが座っている。
「部長ぉ〜っ、今日は連れてきましたよ。」
「おぉ、粘り勝ちって所だな。だが、今日はちょっとまずい…。」
 演劇部部長、藤本先輩の顔はお悩みの色。
 何かあったのかな?
「実はなぁ、佐川が休みなんだ。」
「えっ? どうして休みなんですか?」
「風邪だという話だが…。」
 佐川くんは二年生。今回の劇の主役を務める。一番重要なのに…。
「…どうします?」
「そうだなぁ、うちはただでさえ部員不足。補助要員はいないんだよなぁ。かといって、その辺のを引っ張ってきて、主役代行させるのも無理だし…。」
 ん〜、少なくとも話の流れくらいは頭に入ってないと…。
「あっ、そうですよ部長! 幸浩ちゃんにやってもらいましょうよぉ。ストーリーは完璧ですし、台本だってほとんど頭に入っているはずですっ!」
 私の相手役に幸浩ちゃん。うわぁ、夢みたい…。
 と、うまく事は運ばない。部長は相当悩んでいるみたい。
 そこに友達の美佐子がやってきた。何を面白そうに話してるのぉ、って目でこっちを見ながら。そこで、早速私の思いつきを説明すると、にやにやしながら言う。
「ぉ、真奈倉様、さすがに悪知恵が働きますのぉ〜っ。」
「っちょっと、美佐子、何が悪知恵なのぉ?」
「そりゃぁ、まず一つ目としては、脚本まで書かせた上に稽古までやらせるなんて、悪いとしか言いようがないでしょ?」
「仕方ないじゃないのぉ、佐川くんがお休みなんだから。」
 そうよ、仕方ないんだから。美佐子も余計なことを言わないの。
「もう一つとしては、下手な口実を付けてまで、ねぇ〜っ。」
 ぇ、そ、そんなことないってばぁ。
 そうよ、私はお休みの人の代わりを頼むだけ。別に、それ以外の意味なんてないんだから。
「お休みの人の代わりを頼むのが、いけないこと?」
 私がそう言うと、美佐子はにやついたまま耳元でささやいた。
「ま、そういうことにしておいてあげるわ。ガンバってねぇ〜。」
 あ、疑ってるぅ〜っ。
 言い終わると、楽しそうに走って逃げていった。
 もうっ、別に、何にも考えてないのに…。ね…。
「うん、その手しかないな。」
「へっ?」
 急に部長が大きな声を出してびっくり。
 あ、そうか、幸浩ちゃんを主役代行にするのね。
「彼を主役代行に立てよう。ここは一つ、オレがじっくりお願いしてくる。んでだなぁ、強引に連れてきた上に、強引に舞台に立たせるんだ。少しくらいお礼をしなくちゃまずいな。全員に伝えろ、本番用の衣装を着ろってな。全員、ラストシーン用のだ。」
「はいっ、わかりましたっ。」

 今年の劇は『夏祭の夜に』。
 もちろん最後の衣装は浴衣。おそらく、部長が「お礼」と言ったのはこのためだと思う。うちの部員は可愛い女の子ばかり。えっ、私は…、抜きにしてもよっ。そんな子たちが浴衣で出てくれば、幸浩ちゃんも折れるだろうと部長は考えたの、きっと。ん〜、ちょっと複雑だけどね。
 そして、この演劇はどんなお話か。
 ある田舎の村から上京している高校生、正和が、夏休みに帰ってくる。そこで幼なじみの女の子、葉子が、以前から寄せている想いを夏祭の夜に告白する、と言うロマンチックなお話。
 主役の男の子を佐川くんが演じる。そして、私は想いを寄せる女の子役。そう、幸浩ちゃんの相手役なの。いけないことだけど、佐川くんに感謝かな、と思う。
「真奈倉ぁ、渋々だが了解してくれたぞ。よし、始めようっ。」
「はぁ〜いっ!」
 私も浴衣を着て、準備完了。
 鏡の前に立って自分を見る。結構、綺麗かも、ね。
「真奈倉紗衣さん、これはどういうことかな? オレは演劇をしに来たわけではないんだけどね…。」
 急に後ろから、なにやらお怒りの声は幸浩ちゃんだ。
 ちゃっかり浴衣を着ていたりする。
「えっ、だって、主役の人がお休みで…。仕方がなくって…。」
「まぁ、ここまで来たらやるけどさぁ。負けたよ、ホントに。」
 そう、ガンバろうねっ!
 私は幸浩ちゃんに、精一杯の笑顔を向けた。

 さすがは幸浩ちゃん。台本片手とは言え、お芝居はもう終盤。部長も満足げに修正すべき点をメモしている。もちろん、このあとが最大の魅せ場。葉子が夏祭会場から一歩離れた小川のそばで、正和に告白する。そして…。
「真奈倉、最後だ。決めてこいよっ!」
「紗衣、ガンバるのよぉ〜っ。」
 美佐子はにやついた顔で私を見る。
 っもう、何勘違いしてるのよ…。
 でも、ガンバろうっと…。

「ねぇ、正和くん…。」
「なに? 葉子ちゃん。」
「また、東京に行っちゃうんだよね…。」
「そうだな。学校、あるから。」
「そっか…。」
 静かな小川のほとりで、言葉少なに進行していく。
 舞台は薄暗い。
「ねぇ。」
「なに?」
「私、私ね、…。」
「なぁに?」
 好き、だから…。
 あれっ、声が出ない。えっ、なんで? お芝居よ、台詞よ、葉子の言葉なのよ。私のじゃない、言わなくちゃダメなの。ねぇ、なんで…。
 袖にいる美佐子がこっちを見ている。
 違う、違うの、そんなんじゃないの。違うんだから、これはお芝居なの!
「どうしたの?」
 幸浩ちゃんが優しく聞いてくれる。
 …違う、正和、そう、正和だよ…。
 そう自分に言い聞かせても、目の前にいるのは幸浩ちゃん。優しい目で、私の台詞を待っていてくれる。そう、待っていてくれる…。
「好き、だから…。私、正和くんのことが好きなのっ!」
 …。
 幸浩ちゃんは笑って、言ってくれた。
「ごめんね。わかっていたんだ、でも、無理だから…。」
 そうだよね、わかってる。ずっと見ていたから、知ってるの。いつも優しい幸浩ちゃん、誰にでも優しい幸浩ちゃん。でも、ある人にだけは違うって…。それは私じゃないって…。わかってるから…。
「でも、今夜は楽しかったよ。来年も来るからさ、逢いに。」
 …。
「自分勝手かもしれないけど、オレも葉子のこと、好きだから…。」
 …。
 勝手だよ、そんなの。絶対勝手だよっ。
 幸浩ちゃんの顔が霞んで見える。涙が頬を伝う。勝手だよ…。
「ごめん、葉子。」
 うつむいた私の顔を持ち上げ、額にそっとキスをしてくれる。
 嬉しく、ないよ…。

「紗衣、ふられちゃったねぇ〜っ!」
 あの嫌な笑みを浮かべて楽屋に入ってくるのは、そう、美佐子だ。
 別に、私がふられたんじゃないんだから…。
「美佐子、あれはお芝居。個人的に好きとか嫌いとかじゃないんだから…。」
「そうやって葉子はずっと黙っていたから、ああいう結果を招いたのよ? わかる?」
 わかってる…。
 でも、葉子は知らなかった。私は知っているから…。
「もう、着替えの邪魔だから、どいてよっ!」
「はいはい。」
 やっぱりにやにやしながら、部屋から出ていった。
 幸浩ちゃんに、どういう顔を見せたら良いんだろう。
 気付いていないかな…。そんなこと、ないよね…。きっと、気付いていない振りをするけれど…。幸浩ちゃん、優しいから。誰にでも、優しいから…。

「お疲れさまぁ〜っ。」
 私は、笑顔で舞台に向かった。
 部員一同、そして幸浩ちゃん、明日香ちゃん。みんな集まっていた。
「おっ、うちの花形役者が来ましたぁ〜っ。」
「いやぁ、本番も期待できるねぇ、これは。」
「真奈倉、さすがだぞっ!」
 みんな、誉めてくれた。
 たった一人を除いては。
「紗衣ちゃん、最後のシーンで、妙な間を持たせるのはまずいんじゃないかなぁ。正和の問い直しに頼るのもどうかと思うよ。」
 幸浩ちゃんは、笑顔で私に言った。
 やっぱり、気付いていない振りをして。
「そ、そうかな…。どう思います、部長。」
「どうかなぁ、その辺は真奈倉次第でいいと思うけど。」
「…そうですか…。やっぱり、正和に頼るのは良くないですよね。自分から、ちゃんと言わなくちゃ。葉子、きっとわかってますよね、言えないことが失敗だったって…。」
 でも、わかっていても、言えないことだってある。そう思うけど、違うのかな。
「紗衣、いいことを言うねぇ〜っ。」
「でしょ?」
 そう、どうにでもならないことだってあるんだ。
 それはそれで、仕方がないと思う。ねっ、仕方がないよ。
「さぁて、私は主賓を送らなくちゃいけませんので…。部長、お先に失礼します。」
 私はいつもの笑顔で言った。
「あぁ、構わないよ。ホントにどうもありがとう、菅原くん。できれば、演劇部にどうだ?」
「お断りしておきますよ。これ以上練習するのは勘弁してください。」
 みんなが笑った。私も笑った。
 さ、帰ろうっ。
「明日香ちゃんも、一緒に帰ろうっ!」
「紗衣も悪いねぇ〜、片付けをサボるなんて。」
「お前が言える立場かよ。」
 幸浩ちゃんが明日香ちゃんに言った。
 …いじわる。

 今日はまだ早い。夕日を浴びながらの帰り道。
 幸浩ちゃんと私、明日香ちゃんで歩いている。
「ねぇ、紗衣。あの最後の涙って、どうやってるのぉ?」
 明日香ちゃんが興味深そうに聞いてくる。
 そう聞かれても、本当のことは答えられないのに。
「訓練かな。慣れればできるようになるよ。」
 本当かなぁ。自分で言っていて、嘘っぽいような気がする。嘘だけど。
「私も演劇部入ろうかなぁ〜っ。自由に泣ければ、男を簡単に落とせそうじゃない?」
「そ、そうでもないよ…。」
「そうそう、紗衣ちゃんの言うとおり。大体な、泣いたって可愛くないヤツは可愛くないの。そりゃぁ、紗衣ちゃんに泣かれたら、ぐらつくだろうな。んでも、明日香じゃ無理だ。」
 本当かなぁ。絶対嘘だよ、それ。
「ユキちゃん、このあたしのどこが可愛くないわけ? こんな可愛い女の子、そうそういないわよ、ねぇ、紗衣?」
「そ、そうだね、いないよね。」
「ほら、紗衣ちゃんが困ってるだろ。やめとけ。」
「みんな、見る目がないなぁ〜っ。」
「誰に聞いたって同じだ。っまぁ、なんだ、正直言って、泣かれると弱いのは事実だな。多分、明日香でも多少は考慮するぞ。今日だって、あれが芝居じゃなきゃなぁ、紗衣ちゃんを連れて帰るところなんだけど、惜しかったなぁ〜。」
 そんなことはないってわかっていても、ちょっと嬉しいかな。
 幸浩ちゃんは優しいから、そんなことを言ってくれるんだよね。それとも、本当に気付いていないのかなぁ。気付いていないとしたら、私にもチャンスがあるのかな。そうかもしれないね、言わないとわからないことってあるし。でも、言わなくてもわかることだってある。幸浩ちゃんが想っていること、私にはわかる。ずっと見ていたから、言わなくてもわかる。やっぱり、私じゃないってね。
「ねぇ、明日香ちゃん。もし、私と幸浩ちゃんが付き合うことになったらどうする?」
 何となく、聞いてみるだけ。
 実際にそうなることはないんだけど。
「何を突然言いだすのよぉ〜っ。そりゃ、紗衣を更正させるために全力を尽くすわ。紗衣、よぉ〜く覚えておきなさい。世の中、間違ってはならないこともあるんだから。」
「明日香、それはどういう意味だ。えっ? オレは紗衣ちゃんを彼女にしても構わないぞ。素晴らしいカップルになることを証明してやるさ。なぁ、紗衣ちゃん。どう、今から?」
 ふふっ、そうだなぁ〜っ、どうしよっかなぁ〜っ。
「お断りします、幸浩ちゃん。世の中には、間違ってはならないことがあるんですからっ!」
「ぉ、おい、紗衣ちゃんまでそれかよぉ〜っ。」
「残念でしたね、幸浩ちゃん!」
 私は笑って答えた。

 そう、幸浩ちゃんの相手は私じゃない。間違っちゃダメだよ。

第五章 〜 いつも星明かりの下で 〜

 ふぅ、静かですね…。
 私は今、学校にいます。今日は特別な日、文化祭。それで朝早く来たんですけど…。誰もいません。たまに、人を見かけますけど…。誰もいません。
 それでぼーっとしていたら、大きな声が聞こえます。
「美夜先輩っ、おはよ。」
「あ、幸浩さん、おはようございます。」
 幸浩さんには、転校してきてから色々とお世話になっています。
 今日も、誰もいなくて寂しいところに、来てくれました。
「先輩、早いねぇ〜。オレも結構早く来たんだけどなぁ。イヤ、さすがに本番当日になって仕事が残っているわけじゃないんだけど、何となく、ね。」
「そうですねぇ。私、早すぎたみたいです。だから、誰もいません。」
 実は私、文化祭ってどんなものか良くわからないんです。
 それで一応、早く来てみたんです。
「まぁ、こうぼーっとしているうちに、何かやることができるかな…。」
 そんなことを話しながら、私と幸浩さんは何となく向き合って座っているだけ。他にやることがありませんから。
 すると、急に後ろから声がしました。
「ユキちゃぁん、こんな所で何やってるのぉ〜? なんであたしに声かけてくれないのよぉ〜。言ってくれれば一緒に来てあげるのにぃ、いじわるぅ〜っ。」
「なんだ、明日香か。まぁまぁ、せっかくの穏やかな朝に騒ぐことはないだろ。」
「どこが穏やかなのぉ〜っ? あたしをおいてくなんて穏やかじゃないわよっ!」
 とっても元気なのは、明日香さんです。
 明日香さんと幸浩さんはいつも一緒。とても楽しそうです。
 でも、今日の明日香さん、なんだかちょっと違う気もします。
「明日香、オレは忙しいんだよ。お前はどっか行ってろ。」
「ひっどぉ〜い。大体、ユキちゃんのどこが忙しいのぉ? 雫先輩と二人でにこにこしているだけじゃない!」
「美夜先輩とにこにこするのに忙しいんだよっ!」
 二人は、とっても元気ですね〜。
 私は呆気にとられてしまいます。お話を聞いているだけで、本当に大忙しなんですから。
「大体、うちのクラス、まだ仕事残ってるのよぉ〜。」
「オレの管轄外だ。」
「あ、そーゆーことを言う。桜野さんに言っちゃうぞぉ〜っ。あたし知ってるんだから。ユキちゃん、最近桜野さんに弱み握られてない? なぁ〜んか態度がおかしいのよね。ま、おバカなユキちゃんですから、弱みを握られない方がおかしいんですけどぉ!」
 そうなんですかぁ。
 さっぱりわかりません。
「わかったわかった。今行くよ。ねぇ、美夜先輩、十時にまたここにいてよ。せっかくだから、文化祭、一緒に回ろっ?」
「はい、わかりましたぁ。十時にここですね。」
「んじゃ、またね〜。」
「はい、またぁ。」
 幸浩さん、行ってしまいました。
 私は自分の教室で、ぼーっとしてたら、すぐに十時になっちゃいました。

「美夜先輩、いる?」
 幸浩さんが来ました。
 ぴったり十時です。
「はぁい、私はここにいますよぉ。」
 大きな声でお返事しました。
 ちょっと恥ずかしかったけど、人がたくさんいるので、普段の声じゃ聞こえません。
「あ、先輩。んじゃ、早く行こうよ。」
「はぁい、わかりました。」
 私は幸浩さんの方に駆け寄ると、にっこりと笑いました。
 こんな楽しい気分は、なんだか初めてだと思います。

「あの、これから、何をやるんですか?」
 幸浩さんに引っ張られて講堂まで来たんですけど、今日は、授業ありませんよね。
 でも、人がたくさんいます。
「演劇だよ。封切りだな、この公演が。」
 なんですか、それ?
 そう思ったのが、幸浩さんにはわかったみたいです。幸浩さんって凄いですね、私、何も言ってないのに。
「演劇っていうのはね、誰かが作ったお話を、ホントにあることのように見せるもののことだよ。そうだなぁ、先輩は『夢』って見たことある?」
「はい、あります。寝ているときに見るものですよね?」
 昨日も、見ました。
 お兄ちゃんが、夕食を作り過ぎちゃって、たくさん余っちゃうんですよ。
「その夢を今から、舞台の上で見せてくれるんだよ。」
「凄いですねぇ、寝ていないのに夢が見られるんですね。」
「まぁ、そんなところだよ。見てみればわかるけど。」
 そのとき、ブーっと、音がしました。
「始まるよ、美夜先輩。」
 これから、夢が見られるんですね。
 私、楽しみです。

 夢、えっと、演劇はとても面白かったです。
 離ればなれになった仲良しの二人が、夏の夜にもう一度逢えるっていうお話でした。やっぱりひとりぼっちは寂しいので、二人にはずっと一緒にいて欲しいです。幸浩さんと、明日香さんみたいに。
「面白かったですね、幸浩さん。」
「ん〜、ちょっとなぁ〜…。」
 幸浩さん、いつもと表情が違います。
 何か難しいことを考えているみたいです。
「幸浩さん、どうしたんですか?」
「あ、実はね、この演劇を作るのにオレも関わってるんだよ…。だから、なんて言うかなぁ、仕上がり具合をチェックしちゃうんだよね。」
「幸浩さんが作ったんですかぁ? この演劇は。」
「ん〜、まぁ、作る手伝いをしたって所かな。」
「へぇ〜っ、幸浩さん、夢も作れちゃうんですねぇ。」
「そんな大したことないんだけど、ね。」
 幸浩さんって、凄いです。
 私と違って、なんでも知っていますし、なんでもできるんです。
「そうだ、美夜先輩。演劇を作っている人たちに会ってみる?」
 演劇を作っている人ですか。
 幸浩さんみたいな人が、たくさんいるんでしょうね。
 それに、変わった服を着た人たちにもいるんですよね。
「あの仲良しの二人にも会えるんですか?」
「二人…、あぁ、主役の二人ね。会えるよ、もちろん。」
「私、会ってみたいです。」
「それじゃ、行ってみよ。」
 そう言って、幸浩さんは私の手を引っ張ります。
 幸浩さんは、いつも元気です。私はいつも、引っ張られてばかり。

「紗衣ちゃん、さすがだね。」
 幸浩さんが、仲良しのお一方に声をかけています。
 …あっ、紗衣さんだ。
「仲良しの女の人は、紗衣さんだったんですか?」
 ちょっと驚いて私が質問すると、紗衣さんは笑って教えてくれました。
「そうですよ、雫先輩。どうでした? 私の演技。」
「とっても綺麗でした。凄かったです。」
「ありがとうございます。ちょっと失敗しちゃったところもあるんですけどね。」
 みなさん、とても凄いです。
 夢を作るなんて、私にはできません。でも、ちょっと楽しそうですね。あ、そうです。あの服、私も着てみたいです。とっても綺麗ですから。そう言えば、お名前、なんて言うんでしょう。
「紗衣さん、その服のお名前は何ですか?」
 紗衣さんは、ちょっと驚いた顔をしました。
 でもすぐに笑って教えてくれます。
「えっ、これは『浴衣』って言うんです。夏に着る、日本の服です。これを着ると、誰でも綺麗になれるんですよね。それが好きです。」
「ゆかた、ですかぁ。いつか、私も着てみたいです。」
「そうだ、美夜先輩。今度みんなで花火を見に行こうよ。浴衣を着てさ。紗衣ちゃんも、ね。行こうよ。」
 幸浩さんが、楽しそうに私を誘ってくれます。
 でも…
「花火って、何ですかぁ?」
 幸浩さんはやっぱり楽しそうな顔で言います。
「ん〜、そだなぁ、見るまでのお楽しみ。ね、紗衣ちゃん、一緒に行ったら楽しいって。」
「そうねぇ、とっても楽しそう。先輩、一緒に行きましょ。来年になっちゃいますけど。」
 紗衣さんはなんだか変わった笑いを浮かべます。
「そっかぁ、もう秋だなぁ。でもいいや、先輩、約束するよ。花火を見に行くこと。」
「来年、ですよね。私、ちゃんと待ってますからね。」
「幸浩ちゃん、忘れっぽいからなぁ〜っ。先輩、気を付けた方がいいですよぉ〜。」
 初耳です。幸浩さんって、忘れちゃう人なんですかぁ。
「あ、紗衣ちゃん、信用してないわけ?」
「幸浩さん、ちゃんと覚えていてくださいね。私、楽しみにしていますから。」
 そう言うと、幸浩さんは困ったような顔をしました。
「もう、先輩までそんな…。大丈夫、絶対に忘れないから。」
「楽しみにしてるからね、幸浩ちゃん。」
「はいぃ、楽しみにしています、幸浩さん。」
 私がそう言うと、急に後ろから、いつもの大きな声です。
「ちょっと、ユキちゃん。今何を楽しそうに話してたのぉ〜っ? あたしだけのけ者にしようとしたでしょ。ひっどぉい。」
 そう言う明日香さんの顔は、いつもとちょっと違います。
 いつもは、楽しそうに笑っているんですけど、今は何となく違います。笑っているんですけど、ちょっと違うんです。今日の朝もそうでした。
「悪いな、明日香。お前はのけ者だ。」
 幸浩さんがそう言うと、明日香さん、なんだか寂しそうです。
「あの、幸浩さん。明日香さんが一緒じゃいけないんですか?」
「ん? 冗談だよ。まさか明日香をおいていくわけにいかないって。あとでどんな目に遭わされることか。」
「やっぱり、二人は仲良しなんですね。さっきの演劇の二人と、そっくりです。」
 仲良しって、良いですよね。
 そう思ったんですけど、今度は紗衣さんが寂しそうな顔をします。みんな笑っているのに、今日はなんだか変です。
「まぁ、そう言うわけで、明日香、みんなで花火を見に行こうって話してたんだよ。」
「ユキちゃん、もう秋だよ…。」
「イヤ、だから来年だってば。な、浴衣着てさ。」
「ふふっ、あたしの浴衣姿が見たいって素直に言いなさいよっ! んもぉ、仕方がないんだからぁ。」
 なんだかみんな、また楽しそうです。
 このあとも、私は幸浩さんと一緒に、文化祭の学校を見て回りました。

 ……。
 …………。
 私、寝ていますよね…。
 ここ、どこですか…。
 あ、幸浩さんが目の前にいます…。
「美夜先輩、目は覚めた? びっくりしちゃったよ。美夜先輩ったら、急に倒れちゃったんだから。」
 あ、そう言えば…。ついさっきまで、廊下にいたような気がします。
「私、良くわからないんですけど…。」
「仕方ないよ。きっと、昨日まで準備の仕事で疲れたんだよ。ゆっくり寝てた方がいいと思うな。」
 また、忘れちゃったのかな…。
「大丈夫だから、ね。そんな不安そうな顔しないでよ、先輩。」
「私、今日は、何をしていました…?」
 幸浩さんはいつもの笑顔で教えてくれます。
「朝早く来て、オレと会って、そのあと演劇を見て、ブラスバンドの演奏を聴いて…。」
「幸浩さんがコーヒーを持ってきてくれました。」
「あ、そうだ。うちのクラスの喫茶店にも寄ったな。」
 良かった、私、忘れていません…。

 実は私、この学校に転校してくる前に大きな事故に遭って、記憶を失っちゃったんです。それで、何にも知らないんです。もちろん、以前通っていた学校のことも全部忘れちゃいましたから、文化祭なんて全然わかりませんでした。
 またそうなっちゃったのかなって凄く怖かったんですけど、もう大丈夫です。忘れていませんから、私。
「もう、大丈夫です、幸浩さん。」
 そう言って立とうとしたのですが、うまく立てません。どうしてでしょうか…。
「無理だよ、美夜先輩。まだ寝てなきゃ…。」
 私、大丈夫ですよね。忘れていませんから、大丈夫です。
 もう一度立ってみます。今度はちゃんと立てました。
「ん〜、ホントに大丈夫? まぁ、どちらにしろ今日はもう帰った方がいいよ、先輩。それで、ゆっくり休んで。」
 私、大丈夫です…。
 そう思ったら、また転びそうになります。うまく立てないんです、どうしてなんですか…。
「やっぱり危ないかな…。そうだ、美夜先輩、家はどこ?」
「私の家は、電車のお隣の駅からすぐです。」
 幸浩さんはちょっと考えたあと、笑って言います。
「それなら、オレが送っていくから。もう帰って寝た方がいいよ。学校にいても落ち着かないみたいだし…。」
 幸浩さんは、いつの間にか私のカバンを持ってきてくれていました。
 そして、制服の上着を取ってくれます。
「これを着て。さ、帰ろ。」

 私が制服を着ていると、ドアが開きました。
「ユキちゃん、どうしたの? さっきっから探してたんだけど、保健室にいるって聞いて…。」
 明日香さんが、とても疲れた様子で立っています。苦しそうに息をしています。
「あぁ、明日香。オレ、今から美夜先輩を送っていくから…。そうだ、オレのカバンさ、うちの玄関にでも置いといてくれ。」
「えっ? どういうこと、それ?」
「ん? だからさ、美夜先輩がオレの目の前で倒れちゃって。これから家まで送っていこうと思うんだ。近いしさ。」
 明日香さんは、なんだかとても苦しそうです。
 きっと、ここまで走ってきたんだと思います。私じゃなくて、幸浩さんが倒れちゃったんだと勘違いしたんじゃないでしょうか…。そうですよね、幸浩さんが倒れたら、明日香さん、とても心配すると思います。
「ちょっと、送っていくって、ユキちゃんがぁ? …ねぇ、あたしも行く! いいでしょ? あたしも送っていく! 決めたんだから、何を言っても無駄だよっ!」
 明日香さん、いつもの明日香さんじゃないみたいです。
 いつもは幸浩さんと仲良しなのに、なんだか、怒っているみたいです。
「明日香、どうしたんだよ。お前は別にいいんだって…。」
「やだっ! 行くんだから…。」

 結局、私は幸浩さんと明日香さんに送ってもらうことになりました。そのときの二人は、もういつもの二人。とても仲良しでした。
「幸浩さん、明日香さん。私、良かったです。忘れなくて。」
 二人は私の記憶がないことを知っています。
 だから、親切にしてくれるのかもしれません、そう思っていました。
「もし忘れちゃっても、オレが覚えてるよ。来年、花火を見に行くこともね。」
 でも、違うみたいです。
 私、この学校に来てから、ずっと寂しかったです。みなさんの覚えている楽しいことや、たくさんの友達、私には全然わかりません。でも、最近、何となくわかるようになりました。楽しいことも覚えたし、友達もいる、と思います。幸浩さんや明日香さんが、そうなんだと思います。
「そうよぉ、先輩。ちゃんと覚えてるから、あたしも。」
 そうなんですよね、やっぱり。
「たとえ忘れたって、オレと先輩がここにいることは変わらないんだからさ。きっとまた、友達になれるさ。」
 そうですよね。
 私、もう忘れちゃっても、良いです…。
「ちょっとぉ、ユキちゃん。あたしのいる前で先輩を口説こうとしてない、それってば。ったくぅ、あたしがいなかったら、先輩は倒れるどころじゃ済まなかったですよぉ?」
 明日香さんは、楽しそうに言います。
「倒れるどころじゃ済まないって、どうなっちゃうんですか?」
 私は二人に聞いてみました。

最終章 〜 瞳の中の一番星 〜

「明日香ぁ、ちょっと、聞いてるのぉ!」
 …はぁ…。今日は、なんだかなぁ…。
「明日香っ! 返事しなさいよぉ〜っ。」
 …ふぅ、そう言われてもね…。
「池沢明日香ぁ〜っ!」
 ん? 誰かあたしを呼んだのかな…。
「起きてよ、明日香!」
「ぁ、はい、誰か呼んだ…?」
 返事をしてみると、目の前には菜桜子と美咲がいる。
 なにやら心配そうにあたしの顔を見ているの…。
「どしたの? 二人とも。」
 あたしは、わけもわからず聞いてみる。
 すると菜桜子はあきれたような顔で言う。
「どしたの、じゃないでしょ。さっきから大声で呼んでるのに、ちっとも返事しないんだもん。どうかしちゃったかと思ったわよ。」
「そうよ、明日香。菜桜子の声で起きないなんて、すっごく重傷よぉ。」
「美咲、それは違うんじゃないの、ちょっと。」
「そ、そう? だって、菜桜子、声大きいよ…。」
「あのねぇ、それは明日香を心配して、つい…。」
 あたしの目の前で、二人は言い合いを始めた。
 ところで、あたしに何の用があったの…?
 目の前の二人もそのことに気付いたようで、説明してくれる。
「そうそう、今日の明日香、変だよ? どうかしたの? もし体の具合がおかしいとかだったら、早く帰った方がいいんじゃないかと思って。一応、声をかけたんだけどさ…。」
「ぼーっとしちゃって、返事してくれないんだもん。いよいよ心配になっちゃった。」
 あたし、そんなにぼーっとしてたかな…。
 別に、疲れているとか、そんなことは全然ないんだけど…。
「明日香ぁ、無理しない方がいいよ? ね、辛いならそう言って。」
「えっ、別に、大丈夫なんだけど…。」
 そう、大丈夫なのよ、全然。
 身体は元気よ。心の方に、ちょっと問題があるかもしれないけど…。
 と、そのとき、あたしと同じような人がもう一人いることに気付いた。
 教室の向こう側から声がする。
「菅原くぅんっ! ぼーっとしてると、焼いて食べちゃいますよぉ〜っ。」
「返事してくれないと、八つ裂きにしちゃいますよぉ!」
 ユキちゃんも、あたしと一緒なのか…。やっぱり…。
 そう思ったのはあたしだけではないみたい。菜桜子がにやつきながら言う。
「あらあら、お二人は本当に仲のよろしいことで。昨晩はご一緒で?」
 美咲までにやにやして言うのよ。
「ともに秋の夜長を過ごしたというわけですね、明日香姫。」
 ちょっとぉ、なんでそうなるの…。別に、仲良しとか、そう言う問題じゃないのよ…。
「そんなことないわ。昨日は一人で寝たし…。大体、寝不足でも、病気でもないから。ね、安心して。ちょっとだけ、ぼーっとしちゃったのよ。」
「ほほぉ、昨日『は』ですかぁ、明日香姫。」
 うぅ、なんでそこに注目するのぉ〜。
「もうっ、大丈夫だって言ってるじゃない! あたしは元気よ。」
 そう大きな声で言ってみせると、二人は安心したみたい。
「良かったぁ。じゃ、明日香、次の一時間、ウェイトレス役お願いねぇ〜。」
「あたしたち、他を回ってくるから、またねぇ〜っ。」
 そっかぁ、文化祭で、喫茶店のウェイトレスをやらなきゃいけなかったんだ…。
 でも、なんか気が抜けちゃう。今日は朝からずっとそう。そりゃ、あんなことがあれば誰だって気が抜けるわよ…。ほら、ユキちゃんだって同じじゃない…。

 そんな感じで、あたしは、一日中ぼーっとしていた。おかげさまで割った食器の数は二つ。当然、食器を割るなんてあたしだけ。なんとか文化祭も終わり、片付けということになったけど…。
「明日香ぁ、今日はもういいから、ね、どこかで休んでた方がいいよ。」
 やっぱりぼーっとしていたあたしは、追い出されちゃったの…。
 休んでろって言われても…、どうしようかなぁ。そうだ、ユキちゃんはどこにいるのかな…。教室を眺めてみてもいない。追い出されちゃったのかな、ユキちゃんも。
 なんだかユキちゃんと話したくて、心当たりの場所を探してみる。

「やっぱり、ここにいたんだ…。あたしも、追い出されちゃって。」
 あたしはちょっとだけ喜びながら、声をかけた。
 ユキちゃんは屋上のフェンスに寄りかかって、ぼーっとしている。
「…明日香か…。」
 やっぱり気の抜けた返事。あたしだって…。
「…ユキちゃんは、後夜祭に行かないの?」
 ゆっくりと歩み寄って、ユキちゃんの隣に来てみる。
「お前こそ、行かないのか。」
 なんだか気のない返事。
 あたしも気のない質問だったけど…。何となく、いきなり本題を話してしまうことが怖くて、とりあえず聞いただけだから。別に、答えなんてどうでも良いの。
 でも、あたしは話したいことがあってここに来た…。
 せっかくなんだから、言わなくちゃ、ね…。
「ねぇ、ユキちゃん、信じられる?」
「んまぁ、なぁ。あまり本当っぽくはないよな…。」
 あたしとユキちゃんは、空を眺めて黙ってしまう。
 あ、星が綺麗…。

 昨日、雫先輩を送っていったとき、雫先輩のお兄さんに、明日、つまり今日の朝、また来てくれませんかと言われた。あたしたちは、特に断る理由もないし、きっと先輩のお迎えかな…、と思っていた。けど、それは違ったのよ…。とんでもない秘密を聞くことになったの。
 それは、あの雫先輩が、普通の人間ではないということ…、過去から来た人間であるということを聞かされた。科学者であるお兄さんは、遠く離れた空間と目の前の空間を入れ替える実験をしていたそうなの。でも、それがどう失敗してしまったのか、過去の空間と入れ替わり、美夜先輩がやってきた…。その事故で先輩は記憶喪失を起こし、体もあまり強くはないと説明された。
 でも、そんなことを聞かされても、はいそうですか、と信じられるわけがないじゃない。そんなの、まるで夢の続きよ。あたしもユキちゃんも、今日一日、なんか気が抜けたような感じだったのはこのせいなの。確かに、あたしたちがどうこういっても何もならないことだけど…。あんなこと聞かされて、いつも通りでいられるわけがないもの…。
 そして話を聞かされたあと、あたしはずっと思っていることがある。
 そう、それを誰かに聞いてもらいたくて、私はユキちゃんを捜していたの。
「…ねぇ、ユキちゃん。」
「なんだ…。」
 なんだか言いづらいけど、思いきって話してみる。
「あのお兄さん、ひどいよね。だって自分勝手な実験をして、失敗して、雫先輩を連れて来ちゃったんだよ? ねぇ、ひどいよね…。」
 ユキちゃんは表情一つ変えない。さっきと同じ、何を考えているのかわからない表情。そして、ぼーっと空を見ているの。
「ねぇ、なんとか言ってよ!」
 あたしは少し怒ったような声で言ってみる。
 だって、あたしは勇気を出していったのに、ユキちゃんったら…。
「確かにそうだなぁ。あの兄貴は、自分の実験の失敗で、美夜先輩を事故に巻き込んでしまったわけだ。そして、過去から現在に連れ込んだ。しかし、それがひどいからって、どうするつもりだよ。文句でも言いに行くのか?」
 ……。確かにそうだけど…。そんな言い方しなくたって良いじゃない。あたしだって、別に、ホントにひどいと思っているわけじゃないかもしれないの。でも、わからないから、ね、何か、言って欲しいだけなのに…。
 あたしはつい、怒ったように言ってしまう。
「ユキちゃんのバカ。そんなことはわかってる…。」
 正直な気持ち。わかってるけど、さ。
 どうにもならないことくらい、わかってるのよ。ちょっと聞いて欲しかった、それだけかもしれないけど。
 そう思って、あたしが黙っていると、ユキちゃんはゆっくり話してくれた。
「明日香、オレも最初は思ったよ、あの兄貴はバカ野郎だってな。話を聞いたときは、その場で殴ってやろうかとも思ったさ。でも、良く考えたらそうでもない。ガンバってるよ、あの兄貴…。」
 ユキちゃんはまだ空を見ている。
 あたしも、ぼーっと空を見上げる…。
 ユキちゃんの言っていること、あたしには分からない。
「…なんで? あたしには、わからない…。」
 あたしは何も考えられなくて、気持ちを素直に言葉にしてしまう。
 そんなあたしに、ユキちゃんは優しく続けてくれる。空を見上げたまま。
「もし本当に美夜先輩が過去から来たとしたら、先輩は実験材料として引っ張りだこじゃないかな。時間を超えて来るなんて、今までそう何度もあったはずがないんだ。きっと、科学者なら誰もが調査をしたがるはずだよ。兄貴だって例外ではないだろうな。でも、あいつは兄貴になって、先輩を妹にした。大変だと思うぞ。事故のあった実験だって、一人でやっていたわけじゃないだろ、みんな見ていたんだ。その周りを説得して、先輩に普通の生活を与えるなんてさ…。大体、急に何も知らない妹ができるだけでも、オレには耐えられないと思う。あの兄貴は偉いよ。立派にお兄さんをやってるさ。」
 そっか…。
 やっぱりユキちゃんって、優しいね。だから、あのお兄さんのことだって、考えてあげられるんだよ。ユキちゃんなら、もっと立派なお兄さんになれたよ、きっと。
 なんだか、あたしの気持ちも少し軽くなった。
 今までどうして気持ちが重かったのかな。わからないけど、いいの。
「ねぇ、ユキちゃん。もし、今日帰ったとき、急に妹がいたらどうする?」
 なんて質問してみる。
 ちょっと元気になると、あたしは大好きないたずらをしてみるの。
「そうだなぁ、まずは一緒に風呂でも入ろうか。どうだ、いいと思うぞ。」
「ユキちゃんのエッチ。」
 ユキちゃんは、あたしの方を見て笑っている。
 あたしも、ユキちゃんに笑い返してみる。
 いつも通りに戻ったね、あたしたち。
「ねぇ、ユキちゃん。考えてみたらね、あのお兄さんって、凄く優しいのかもね。」
「やっとオレの言っていることが理解できたか、おバカさんっ。」
 ひっどぉい。
 これから言いたいことがあるから、黙ってるけどさぁ、良くないぞ、ユキちゃんっ!
「やっぱりさぁ、ね、人には優しくしてくれる誰かが必要だよね。」
「そうかもしれないな。誰だって、一人じゃ辛いこと、沢山あるからなぁ。」
 ユキちゃんは、また空を見た。
 あたし、何を見ているか知っているんだ。ユキちゃんのことなら、なんでも知っているんだから…。

「ねぇ。」
 あたしはそう言うと、ユキちゃんの首に抱きついた。
 横を向くと、ユキちゃんの顔がよく見えるの。
「おい、やめろ、明日香。ったく…。」
 やだよ。やめてあげないんだから…。
 あたしは耳元でささやいた。
「あたしにも必要なの、優しくしてくれる人。ユキちゃんにだって必要でしょ…。」
 あたしに優しくしてくれる人。ユキちゃん、だよね。あたしが優しくしてあげる人。ユキちゃんだもん。
 それでもユキちゃんは、何も言わずに空を見ている。
 ずるいんだから、もうっ。でも、あきらめないよ。必要だもん、絶対。
「ユキちゃん、知ってる? 天の川って、今も見れるんだよ。」
 ユキちゃんはやっぱり何も言わず、じっと星空を見つめている。
「ねぇ、ユキちゃんの隣で天の川見る人、あたしじゃダメ?」
 いたずらっぽく聞いてみる。本気だけど、恥ずかしいから。
 そう、ユキちゃんの七夕のお願い。今年も「一緒に天の川を見る人がいたらな」だったんだよ。あたし、知ってるんだからね。
「どうだろうな…。」
 なんでも知っているあたしでさえ、滅多に見ることのできないユキちゃん。動揺しているのを一生懸命隠そうとしている。なんか、子どもみたい…。
 そんなユキちゃんの顔の真正面に、あたしの顔を持っていく。
 まん丸に見開かれたユキちゃんの目。何となく、あたしはユキちゃんのおでこにキスをした。
「…あたしが相手じゃ、ダメなの?」
 ユキちゃんの瞳には、今、いたずらっ子のあたしが映っている。

あとがきに続く。